指導者のための仏教章の心得

  現代社会は、物質的には豊かになったものの、心の貧しい社会になったと言われるようになって随分時がたちました。

 なによりも金儲けを優先し、その繁栄を誇ってきた日本経済はバブルの崩壊によって、世の中は金が全てでないことを人々に教えました。また、政治家ヘの不信が国家の信頼を失望させ、リストラ、就職難など人々の身近かな生活にもその影響が出はじめて、政治や国家が信頼に足りるものでないことを知ることになりました。

 ここにいたってようやく、心の貧しい自分が少しづつ見えてくるようになったのではないでしょうか。それでも、繁栄の中でエンジョイして来た者がいきなり一文無しの生活を送らなければならない。と言った決定的なダメージを受けているわけではありませんから、まだまだ社会は、心の問題にすがりつくほど関心が高いとは言えません。

 しかし、現にボーイスカウトの指導者の皆さんが接しておられる少年たちは、その両親も含めて物の溢れる飽食の時代と言われる繁栄の絶頂期に育った世代です。

 ある歴史学者は『過去の歴史を振り返ると、新しい世代が生まれながらにして豊かさを与えられ、満足したときから、その国の衰退が始まる』と言っています。私たちの社会も物質中心主義の中で失ってきたものも多く、特に心の不在が問題視されています。心を育んできた家庭の崩壊は、家庭教育の欠陥に起因する深刻な問題を多発させ、家庭教育の機能低下は学校教育にまで荒廃の諸要因として取り沙汰されるようになりました。

 臨時教育審議会第二次答申で「教育荒廃の諸要因」として、『豊かな社会の実現が感謝の気持、祖先を敬う心、自然や超越的なものを畏敬する心、宗教心などが衰弱する結果を招き、心の貧困をもたらした』と指摘した上で、『21世紀のための教育目標』として『教育の目標が、人格の完成を目指すことにある以上、その実現に近づくための基本は、知育・徳育・体育の調和の中に、真・善・美を求め続ける<広い心>を大切に育むということでなくてはならない。それは、人間や自然に対する優しさと思いやりの心・感謝の心・さらには豊かな情操・人の力を超えたものを畏敬する心などを含むものである』と述べています。

 これらは、公的教育が個別教団の教義や活動を強制してはいけないと、憲法と教育に関する諸種の法律で禁じてきたことによって宗教的情操まで否定されてきた結果です。GHQが戦前の国家神道による帝国主義の再発防止を目的にしたものであったことの認識不足と議論の不足が、「宗教はいけないもの、排除するもの」という意識だけを育ててしまい、現在の教育現場の教師もこのような教育のもとで育ちました。最悪です。国の教育行政の大失敗と言っても過言ではありません。

 ボーイスカウト運動に携わる者にとっては、この現状を厳しく捕えるとともに、大谷スカウトの指導者として今、ともにその責任を果たす時が来たといえます。

 私たちスカウト指導者は「み仏に合い得た感謝と感激を未来社会を築く子どもたちのために・・」を合言葉に、一週間に一度。それも日曜日の僅か2時間足らずを、スカウトたちと共に活動する時間にして行きたいものです。


 宗教章制定の根拠


 
宗教章がボーイスカウト日本連盟に制定されたその根拠は、規約の「本連盟はすべての加盟員が、それぞれ明確なる信仰をもつことを奨励する。」とあることに基づき、明確なる信仰をもつよう励ます方法のひとつとしての施策で、「ちかい」の第一の「仏に・・誠を尽し・・」を母胎としています。   

ち か い

私は、名誉にかけて次の三条の実行を誓います。             

   一、仏と国とに誠を尽くしおきてを守ります。

   一、いつも他の人びとをたすけます。

   一、からだを強くし、心をすこやかに 徳を養います。



 「ちかい」は、前文の中で「三条の実行を誓う」とあります。つまりこれは、実践への誓いであります。そこで「仏に誠を尽す」という表現を具体的に実践とするには、「仏恩報謝」を形にすると言うことになります。仏恩報謝の実践の姿とは、阿弥陀様の前で合掌して『なむあみだぶつ』とお念仏を唱えると言うことです。そして、常に正しい教えに耳を傾けるという聞法の心掛けを持って日常生活を送ると言う事が、仏教徒としての仏に誠を尽す実践の姿です。

 仏に誠を尽す段階、程度は無数にあります。神仏を否定する・しない。とか無神論者はスカウトとは言えない。と言ったギリギリの段階から、ビーバースカウトやカブスカウトらへの種蒔き段階。そして、ボーイスカウト年齢、ベンチャースカウト年齢とだんだん信仰らしきものが芽生える段階、それが成長して「明確なる信仰」に達するまでの一連のプロセスがあるはずで、その歩みを助け励ますことが宗教章制定の目的です。

 この宗教をバックボーンとした教育法の提唱者はボーイスカウト運動の創始者ベーテン・パウエルです。

上記は、故三輪谷先生が大谷スカウト隊長資料として
配布された「ちかい」と「おきて」を考える。の巻頭
部分にお書きになった文章を参考にして作成したもの
です。               管理人。  

 国に誠を尽くすとは

 私たちの「ちかい」には、仏と国とに誠を尽くすとあります。国に誠を尽くすという大谷スカウトの実践の姿とは、どのような姿なのでしょうか。

 国の言いなりになるということが、誠を尽くすことになるのでしょうか。

 下記の挿絵は、アメリカのスカウトハンドブックに掲載されているものです。「星条旗に身を包んだ戦士に、剣を差し出すスカウト」私たち大谷スカウトの「国に誠を尽くす」は、このようなスカウトを育てることだったのでしょうか。

 

 上記の挿絵を見た感想をフォーラムまでお寄せください。台座には、WEAPONS FOR LIBERTY と刻まれています。

 私たちは、よく知らないうちに「ちかい」をたてたとは言え、「ちかい」をたてたことには間違いありません。せめて、その「ちかい」を新たなスカウトに伝えるためには、リーダー自らが課題として行く必要があります。

 大方のリーダーは、「考えすぎだよ」と言うと思います。現にそんな声が、明確な押えを出来ないまま今日に至っているのですから、こんな提言のようなことを言うと、すぐに結論や答えを求める方がいますが、そんなことでなく、フォーラムに意見をお寄せください。真面目な、色々な意見や考え方が集まればきっと私たちの目指すものが見えてくるものと信じています。

 大谷スカウトのリーダーとして、胸を張って子どもたちとともに歩むために・・・。                    

                          2002.6 管理人


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